宿願 令和の大修復事業 勧募のお願い
越の秀嶺大原山西福寺は六百五十余年の星霜を経ており、後光巌天皇(北朝)より寺領、後円融上皇より『勅願所』の院宣を賜り、かつては、七堂伽藍を備え、五十三ケ寺の末寺と二十町歩に及ぶ田畑を有し、本山型式である御影堂つくりの浄土宗北陸きっての偉容を誇る名刹であります。
歴世の住職先徳が心魂をかたむけて築き上げてくだされた今日の大原山の永い歴史と伝統、その意を受け継ぎ、念仏弘通、祖師報恩、大原山護持興隆の為に、正精進以って大任を果すべく躬を竭して祖師先師の洪恩に酬ゆる所存でございます。
先代鵜飼良昌上人の代に第一期工事として佛天のご加護と皆様のおかげにより阿弥陀堂、書院、四修廊下が立派に修復工事を終えましたが、愈々本丸であり、老朽化が著しい国指定重要文化財の御影堂、庫裏玄関等の修復工事が国・福井県・敦賀市のご指導ご助力のもと、令和四年度には工事着工の段取りと相成りました。しかしながら、當山にとりましては総工費二十八億円と言うとんでもない大事業でありますれば、皆様の懇志御協力に頼るほかありません。
国の九鼎であり、福井そして敦賀の寶である西福寺の法城を何としても守らねばなりません。大原山復興の願いを共有して頂き、この淨業達成のため、ご理解を戴き、浄財ご寄進を賜りたく、伏して勧募のお願いを申し上げます。
令和の大修復事業完遂の為、全山関係者一同全力で邁進させていただく所存でございます。ご協力お力添えを賜りますよう何卒宜しくお願い申し上げます。
合掌九拝
大原山西福寺 第五十一世 二橋 信玄
修復整備浄財勧募趣意書
北陸の名刹、骨仏の寺で知られる西福寺は、正平二十三年良如智水大和尚が開基せられてよりすでに六百五十余年の星霜を経ております。
寺伝によれば、後光厳天皇(北朝)より寺領と伽藍建立の勅許を、後円融上皇より『勅願所』の院宣を賜る等の他、阿弥陀堂本尊は平重盛公の念持仏であることや、御影堂の法然上人尊像は上人七十一才当時の御自作と言われ、弟子の勢観房が浄土宗念仏弘通のため北陸地方勧化行脚のおり奉持された法然上人の御分身像といわれております。
かつては、七堂伽藍を備え五十三ヶ寺の末寺と二十町歩に及ぶ田畑を有し、浄土宗の別格本山の威容を誇り、尚且つ、全国的にもまれにみる御影堂つくりの古刹として知られていました。
しかし、戦後の農地解放を始めとする宗門改変、本末解体等の時流の中で百五十余戸の直檀家と縁故寺院の信者によって、汲々として維持されて今日に至ったのですが、長年の風雪で御影堂並びに庫裏の屋根、柱、床の腐敗老朽が甚だしく修復が急がれる事態です。
阿弥陀堂についで御影堂(大殿)・書院・庫裏が重要文化財としての国の指定を受けさらにほかの六棟の堂宇も市指定文化財として脚光を浴びる機会を得たことを機に、これら西福寺に伝わる貴重な文化財の数々と伝統建造物を継承保存すべく、市内外の政治・経済・文化・観光等、各界・各層の文化財愛好の識者、広くは市民の方々のご理解、ご支援をいただいて新たに西福寺文化財修理事業奉賛会を設立し、これら建造物文化財の修復整備の大事業完遂に邁進いたしたく存じております。
つきましては、国の重要文化財・敦賀市の宝・観光の拠点・心の安らぐ浄域・人の集う安楽の聖地であります名刹 西福寺修復のために浄財のご寄進を賜りますよう伏して懇願申し上げます。
西福寺文化財修復事業奉賛会 会長 髙木 毅