大河ドラマ「どうする家康」で話題の 結城秀康 は、西福寺に大変ゆかりのある方です。

 


 西福寺と 『結城秀康公』 との縁、ゆかりのスポットをご紹介します。

 

 

 

■ 結城秀康

 

結城秀康は、徳川家康の次男です。豊臣秀吉の養子となり羽柴秀康(はしば ひでやす)を名乗りましたが、その後、結城晴朝の養子となり、結城秀康となりました。
 関ヶ原の戦いの際、上杉景勝の抑えを務めた功績を徳川家康に認められ、1601(慶長6)年、越前68万石を与えられ、越前国北荘藩(福井藩)初代藩主となりました。結城秀康は、越前松平家の祖です。



■ 西福寺 と 結城秀康


 徳川家は浄土宗に篤く帰依していました。徳川家康公の「徳川家、松平家は末代まで浄土宗である」との教えから、浄土宗との深い繋がりがあります。そのため、西福寺は福井藩との繋がりが深い寺です。

 結城秀康は西福寺の天榮上人(徳川家康の寵遇を受け、西福寺 第十八世となる)に大変感銘を受け、自分の息子(庶子)である竹治郎(八歳)を託して、出家させました。


 竹治郎は「敦榮(出家名)」、後に「呑榮上人」と改名し、西福寺の二十一世に就きました。西福寺の興隆に尽力され、徳のある方だったと伝わります。

 つまり、「将軍 徳川家康の孫」が西福寺の住職だったのです。


 血縁のある身内が住職だった縁りがあり、西福寺には、結城秀康公と越前松平家に縁りの品々、逸話が残されています。

 



 

 ■ ゆかりの建物・品々・逸話

 

 結城秀康公が発願し、その寄付により、慶長年間(1596~1615年)に建てられました。書院の天井は、同2代 松平忠直公の施工です。

 一の間から三の間、仏間があります。

 「書院」は名勝に指定された庭園の一部に含まれています。境内の北西に位置し、名勝庭園に面して建つ、桁行6間半、梁間9間(当初は8間)、切妻造、こけら形銅板葺(当初はこけら葺)の建物で、南側に庫裏が接続しています。

 

 

 

 

 


 結城秀康公、二代目 松平忠直公、共に書院で能楽を楽しまれました。忠直公は、能楽の際の音響が良くなるよう、一晩で天井を完成させた、と伝えられています。

 一の間から三の間、仏間、それぞれに天井の高さ・欄間が違い、音響効果を考慮した特徴ある造りとなっています。。

 ぜひ、ご覧下さい。






 松平忠直公の寄贈にして福井城内から移植されたと伝えられています。現木は3代目です。
 淡い黄緑の八重桜を咲かせます。段々と色が変わる、趣のある桜です。

 鬱金桜(黄金桜)


 つぼみの時の「黄金桜」


 満開時の「黄金桜」


 散り際の「黄金桜」





 越前松平家との関係がしのばれる「古文書・文化財」が多く遺されており、宝物として大切に保管しています。

 通常は非公開ですが、「敦賀市立博物館」の企画展などで一部を展示することがあります。

 機会がありましたら、ぜひご覧下さい。


 



 御影堂に、越前松平家・徳川歴代将軍の位碑を祀っています。

(現在、御影堂修復工事のため見られません。)






 ■ 越の秀嶺


 徳川御三家・御三卿・越前松平家の方がご住職となられた寺は『秀嶺』と呼ばれ、西福寺は特に十五弁の三つ葉葵の紋を使うことを許された寺でもあります。その由縁により西福寺は『越の秀嶺』と言われています。

 



 

 ↓詳細は、「西福寺について」をご覧下さい。