七不思議


 西福寺に代々伝わる「七不思議」を、現住職がまとめました。西福寺の七不思議巡りをお楽しみ下さい。


 


一、 三尊石(さんぞんせき)と巨石群

 三尊石は、この地に西福寺が建立された由緒の岩です。南無阿弥陀仏の御名号が彫られています。庭園は、山頂の三尊石を中心に二十五菩薩の来迎を表題しています。

 開山・良如上人が布教行脚の途中で敦賀港を過ぎた頃、光明の中に往立する阿弥陀三尊が見え、光をたどりこの地に来られたところ、三尊はたちまちに大石と化した、と伝わります。上人はこの地に寺院建立を志し、後光厳天皇の勅許を得て西福寺が建立されました。

周辺の山には他にも、「仙人が二十四世住職 山髙上人と囲碁を指したと云う仙人岩」など、不思議な言い伝えのある巨岩がたくさんあります。



 


二、 白狐(びゃっこ)と祠(ほこら)


 開山 良如上人が、阿弥陀三尊の光明をたどってこの地(原)に来たところ、白狐があらわれて山麓に導いたと伝わっています。

 歴代住職は必ずこの白狐の導きに出会うといわれています。この白狐を祀った祠が御影堂の後方に建てられています。



 


三、毘沙門岩(びしゃもんいわ) と 毘沙門天王(びしゃもんてんのう)

 毘沙門天像(開山 良如上人の自作)は、現在は阿弥陀堂に祀られていますが、昔は別のお堂にありました。

 ある時、火災があり、お堂は焼失しましたが、毘沙門天王のお像は自ら逃げて、境内の外の岩上にありました。この岩は毘沙門岩と呼ばれています。

『毘沙門岩』を触ると、『勝運』の御利益がもらえると言われています。




 


四、四修廊下(ししゅうろうか) と 八功徳池(はっくどくち)


 浄土宗の開祖 法然上人が説く「お念佛(南無阿弥陀佛)を唱えることで、全ての人が救われ、極楽浄土に生まれる」という教えの行法「三心四修(さんじんししゅ)」を、四修廊下とお浄土の八功徳池(極楽浄土に有る八功徳の水をたたえた七宝より成る池)の日本庭園で表しています。

 御影堂(みえいどう)から四修廊下を進む先に、阿弥陀堂と庭園(浄土)があり、浄土信仰の世界観を表現しています。

【 滝 】 極楽浄土を表すとともに、三心(お念佛を唱える人の心の持ちよう)を表す。
     ■ 至誠心・深心・回向発願心
【 廊 下 】 四修(お念佛の修養方法)を表す。
     ■ 恭敬修・無余修・無間修・長時修




 


五、 御影堂(みえいどう)の天井 一枚板


 御影堂は文化8年(1811)に落成、国指定重要文化財・日本遺産(文化庁認定)です。

 梁行14間、桁行13間半の堂々たる建物ですが、その大きな天井には、他に類をみない繋ぎ目のない長大な一枚板(長さ15m)が使われています。

 なお、この天井板は赤萩村(現福井県河野村)住民から寄付されたものです。



 


六、書 院 天井と 欄間(らんま)


 書院は結城秀康公が発願し、その寄進により慶長年間に建てられました。結城秀康公、松平忠直公(二代目福井藩主)共に、書院で能楽を楽しまれました。

 忠直公は、能楽の際の音響が良くなるよう、一晩で天井を完成させた、と伝えられています。

 一の間から三の間、仏間、それぞれに天井の高さ・欄間が違い、音響効果を考慮した特徴ある造りです。



 


七、十五弁の三つ葉葵


 徳川家康公の次男である結城秀康公の息子(将軍 家康の孫)が、西福寺にて出家得度し、二十一世住職(呑榮上人)に就いた由縁のため、十五弁の三ツ葉葵の使用を特別に許されています。

 ※葵紋は弁の数で格式が分けられており、御三家・御三卿も同じ十五弁です。




※現在、御影堂修理工事のため、御影堂と白狐社は参拝できません。