西福寺について

勅願寺

 勅願寺とは、天皇・又は皇太子の勅願により建立された寺院です。
 西福寺開山良如上人が当地に仏法有縁の奇端を感得され、一宇建立の志を決せられた正平23年(北朝応安元年)、後光巌天皇は伽藍建立の勅許を下された。
 西福寺史によると「後光巌天皇、奇端を聞召して伽藍建立の勅許を下され、時に足利義満に命じて土木を助けしめらる。依って同年11月、仏殿を建立し、翌12月本尊を感得す。天皇すなわち寺額を賜て大原山西福寺と号す。茲に於いて当時、越前の守護沙彌道将、藤原将経等の一門、山林田畑を寄付し各帰依の意を表し、建徳2年12月、足利義満、敷地免除の教書を寄せ、元中7年7月、後圓融上皇、勅願の院宣と賜ふ。爾来仏殿に於いて、宝祚延長国家安全を祷ること旦暮退転せず。依りて之を勅願殿と称す」(「西福寺誌稿」)

 

 

西福寺の沿革

  開山良如上人が諸国行脚の道すがら近江路を経て敦賀に遊化された折り、遥か西方の山中に光明輝く阿弥陀三尊の尊い御姿を感見せられて、その光明に導かれこの地に歩みを進め辻堂の辺りまで来られると、突如、一匹の白狐が現われ、上人を山の麓まで案内して忽然と姿を消したと見る間に阿弥陀三尊も大岩と化したと伝えられます。

 そこで開山良如上人は ”仏法有縁の地である” としてこの奇瑞の山腹に一宇建立を発願せられました。後この岩を三尊石と称え、現に当寺裏山の中腹にあり、白狐も守護神としえ御影堂裏に祀ってあります。時に正平23年(1368年北朝 応安元年)3月であります。直ちに朝廷の許しを受け、時の征夷大将軍足利義満公の助力を得て堂塔を完備し、”大原山西福寺”の寺号を勅賜され建立の大願を果たされました。

 爾来北陸の名刹として法灯相栄え、縁故寺院48寺、信徒1000名をこえる偉容を今日に伝えています。特に書院庭園は国の名勝庭園として有名であります。

 


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