令和8年10月
『 人間万事塞翁が馬 』
人生の幸不幸は予測できず、良いことも悪いこともいつ転じるかわからないという意味のことわざです。
中国北方の塞(とりで)近くに住む老人(塞翁)の話に由来します。
ある日、老人の馬が馬小屋から逃げました。近所の人々は不運を嘆きましたが、老人は「これが幸運を呼ぶかもしれない」と言いました。その後、逃げた馬は雌馬を連れて戻ってきましたので喜びましたが、老人は「これは不幸の元になるだろう」と予想しました。やがて息子がその馬から落ちて足を骨折しましたが、後に戦争が起こり、徴兵される若者たちが多く戦死する中、息子は免れました。この一連の出来事から、一見不幸に見えることが幸運につながることもあるという教訓が生まれた諺です。つまり、何が幸せで、何が不幸になるか判らないのが此の世です。災いも福も予想できない。いたずらに悲しんだり、幸福だと喜んでいても始まらないことを教えています。目先の出来事に一喜一憂せず、長期的な視点で物事を捉えることの大切さを示しています。
人生の浮き沈みに対して冷静でいること、人生の予測不能な変化に対する深い洞察を与え、さらに、良いことと悪いことは表裏一体で常に移り変わるという真理を受け入れる知恵が大事と教えています。
幸と不幸について、佛教詩人の坂村真民さんの『幸せの帽子』に、「小さい時から、不幸の帽子をいくつもかぶせられたが、今から思えば、それがみんな、有難い幸せの帽子であった」困難な時期こそが後に大きな幸せや成長につながる。苦しみを嘆くのではなく、それを糧として受け入れる大切さ。「苦しい時は、今幸せの種を蒔いている。その種は、やがて芽を出す。たとえ直ぐ実らなくても、私の人生、これで良かった。」そんな想いを残してくれる。
『禍福は糾(あざな)える縄の如し』幸せ(福)と災い(禍)はより合わせた縄のように表裏一体であり、交互にやってくることもある。悪いことが続いても、やがて幸運が訪れる。それは、良い時も油断してはならないとの人生の浮き沈みを表す戒めでもあります。
しかし、頑張って努力しても、なかなか良い結果が出ない時は、『定期預金』をしていると思えばよい。つまり禍福もご縁、難儀もおかげと頂戴することが大事ですね。
法然上人は、迷える私どもに、お念佛を称える事により、生き難い人の世を生きる安らぎ、生きる勇気、生きる喜びを与えてくださったのです。
今、生かされている生命を喜び、おかげさまの心で、安らぎと真実の喜びの中、日暮らしをすることができるのです。
佛の救いを信じて、『ただ一向に念佛すべし』です。
お念佛の中に、今を力強く生き生かさせていただきましょう。
令和8年 9月1日
二橋 信玄 (大原山西福寺 第51世)







