今月の言葉(令和3年10月)

大原山西福寺 第51世 二橋 信玄より

【令和3年10月】

  今こそ一丸となって、お念仏の声を響かせる時

 

 「親の縁によって生まれ、衆生の縁によって生かされ、仏の縁によって浄土に帰る」と申します。私たちは、この世に量り知ることのできない、尊い生命の恵みを頂戴し、人として生まれさせて頂きました。ところがこの娑婆世界は、諸行無常でいろんなことがあります。いろいろな縁に出遭っていかなければなりません。遇いたい縁も有れば、遇いたくない縁にも出逢わねばなりません。
 一昨年の暮れより、突如として未知なる新型コロナウイルスの感染症問題が起こり、日本中・世界中が大混乱となり、苦しめられています。一体どうなるのでしょうか。
先ずは感染物故者の追善菩提と感染闘病者の早期回復を願い、一刻も早く無事に沈静化することを念じております。
 政府も当初は「不要不急以外の外出を控えてください。移さないように移らないようにと、マスクとウガイ手洗いの徹底を」と指示を出されていましたが、日を追うごとに多くの感染者が出て、日本中に何度も緊急事態宣言が出ました。
 改めて考えて顧みますと、降って沸いたような大変なこの現状は、人類の永い歴史の上において、何度も何度も繰り返されて来ました。感染症だけでも天然痘・ペスト・コレラ・チフス・マラリア・スペイン風邪等々、数えれば切りがありません。
 法然上人のご在世の時代も同じような事が記録に残っております。後白河天皇と崇徳上皇との朝廷内部の対立、関白藤原忠通と左大臣藤原頼長の摂関家の貴族兄弟対立。武士である源義朝と源為義の親子、平忠正と平清盛の叔父甥による所謂保元平治の乱の時代です。戦乱と殺戮で国中が乱れる中、天災地変(大地震や竜巻)が起こり、とんでもない疫病が蔓延し、飢饉で食べ物が無く、亡骸が街中に散乱し、人心も乱れ、生きることすら難しかった時代で、鴨長明の方丈記に『その異常さに何か神仏の警告か』と、記されています。
 そんな折、法然上人のお弟子である明遍が、「末代悪世を生きる私達のような罪を犯して穢れている凡夫は、どうしたら迷いの世界から離脱出来るのでしょうか」との問いに対して、法然上人は念仏往生の本願を説かれたのです。しかし、明遍は、「念仏しても心乱れる自分はどうしたらいいのか」と質問され、法然上人は「私もそうだ」と答えられたのです。再度「どうすればよろしいか」と問いただす明遍に法然上人は「ただ煎じ詰めれば、おおらかに念仏申すが第一のことである」と、仰せになられたのです。
今はただジッと我慢の時であると判りながらも、成すべき事を成さず、成すべからざる事ばかりして、自分勝手な情けない行動をして、人に迷惑をかけている愚かな凡夫である事の自覚と、自らを省みる大事な時でありましょう。
 今を生きる我々は、ただ仏の救いを信じて、一喜一憂せず、おおらかな心でお念仏申し、与えられた縁を一生懸命生き生かさせて頂きましょう。
 専門家はコロナ禍の収束までは二・三年かかるでしょうと申されていましたが、ワクチンの普及と共にその効果も出始め、少しずつではありますが、明るい光が見えてきたようにも思います。
こんな時にこそ、私たちは何をしなければならないのか、何が出来るのか、その為にはどようにしたら出来るのか、智慧の有る人は智慧を出し、力の有る人は力を出し、元気を出して此の難局を乗り越えて行こうではありませんか。
 ある書物には、法然上人の『おおらかに』を『多らかに』とも書かれております。
 お寺に寄る事もままならない現実ですが、お念仏は何処でも何をしていても称えられます。『今こそ一丸となって、お念仏の声を響かせる時』なのです。

合掌 

(大原山報 198号より)