大原山西福寺 第51世 二橋 信玄より
【令和5年9月】
「振り向けば、おかげを受けし人ばかり」
小説家の吉川英治(1892~1962)さんが、文化勲章をお受けになった時、講演の席で涙を流して申されました。「私は物を書くことしか能がない男ですが、今日このように皆さまに祝って頂く、こんなに有り難いことはありません。後を振り向いた時、家内がそこにいてくれました。家内のお陰です」「振り向けば、おかげを受けし人ばかり」と、掌を合わされました。
奥さんのおかげ、御主人のおかげ、親のおかげ、子供さん、兄弟姉妹、友人知人、私をささえて下さる多くの皆さんのおかげです。
そして、人ばかりではありません。『生かされて 生きるや今日のこの生命、天地の恩、限りなき恩』この私を、生かそう、生かしてやろうとして下さっている、天地の大いなる恵みの中で、生き生かさせて頂いているんです。
よく「雨の降る日は 天気が悪い」と言う人がいますが、それは天気が悪いのと違って私たちの都合が悪いだけのことです。雨も降らないと、生きて行けない生命です。水のおかげ、太陽や月のおかげ、空気のおかげで生き、生かさせて頂いているんです。
私たちは「俺が、俺が」と、自分が勝手に生きているように思っていますが、そうではない、おかげの中に生かされている命なんです。此のおかげさまの心の判らない人は掌が合いません。
我が宗祖法然上人は、850年前、老いも若きも、男も女も、学問が有ろうと無かろうと、全ての人が、一人も漏れることの無い、お念仏の道を行けとお示しくださったのです。仏の救いをひたすら信じ、ただ口に南無阿弥陀仏と称えたならば、必ず阿弥陀仏は救いとってくださるのです。
「人生は縁」であり、縁にはじまり縁によって終わると申します。人として生命をいただくのも縁。更に諸行無常の娑婆世界に生命を頂いている私どもは、会いたい縁もあれば、会いたくない縁もあります。いろいろな縁に出会わせて頂くのです。
諸行無常の世の中なれば、何時どんな辛い縁に出会うか判らないのも事実です。難儀もおかげと噛み締めて、お念仏の中に、今を力強く生き生かさせていただきましょう。
会いたくない縁も、受けねば成らぬ縁として素直に受け取ってゆく力がわいてくるのです。
お念仏を称えて、おかげさまと素直に喜べる人は幸せですね。
2023年9月1日
二橋 信玄 (大原山西福寺 第51世)