大原山西福寺 第51世 二橋 信玄より
【令和4年3月】
情は人のためならず
情は人のためならずの意味が、人に情をかけることは、その人のためにはならないと思いがちですが、それは間違いで、人に情をかけることは、自分に良いことが巡ってくると言うのが本来の意味です。
「人のためならず」とは、実は自分のためなのです。お釈迦さまが説かれた「因果応報」の教えなのです。
「慈悲は人のためならず、廻り回りて我が身のため」と言う言葉と同じです。ここで言う慈悲の心とは追善のことです。追善とは追善供養、即ちお盆や彼岸の廻向。年回法事や月参り等々の故人に対する供養です。
栗三年柿八年と言いますが、蒔いた種は必ず生えてきます。廻り回りて、その人に、その家に必ず良い結果をもたらすのです。
追善供養の功徳は「七分獲一」(ひちぶんぎゃくいつ)と言い、お供養の功徳を七とすると、その七分の一がご先祖に及び、残りの七分の六が供養した人に及ぶとあらゆる仏典に説かれています。
佛に供養し、先祖供養すると、佛が先祖が、七分の六もの功徳を私に振り向けてくださるのです。
七分の六もの果報を受けるわけですから、先祖供養を、おろそかにすると亡き霊が果報をうけないことは勿論、残された者も果報は0(ゼロ)のため、幸せが逃げてしまうことになりますね。
追善供養とは廻り回りて我が身のためなんです。
2022年3月1日
二橋 信玄 (大原山西福寺 第51世)
2022年1月 修養会にて