法然上人 一刀十念御自作座像(西福寺御影堂御本尊)
【令和5年11月】
「出あい難い佛の縁」
永井荷風の榎物語の一節に、「月日を経るに従い、これぞまさしく因果応報の戒めなるべくやと、自然に観念いたすように相成り申し候」とあります。
信仰無き人は必ず悔やむ時が来ます。
開経偈というお経文があります。
無上甚深微妙法 百千萬劫難遭遇
我今見聞得受持 願解如来真実義
無上甚深とは、この上もない尊い御佛の深い深いみ教えには、百千萬劫にも会うことが難い、「劫」は中国の数字の単位を表します。一辺が四十里四方の立方体の岩があって、そこに百年に一度天女が舞い降りてきます。その天女が羽衣で岩の上をスーとなぞっていきます。眼には見えないが、それはかすかに摩滅をしている、間違いない事実です。その大きな岩が、全部すっかり無くなってしまう時間を「劫」といい、それが百千萬劫といいますから想像もつきません。とんでもない長い時間、この上もない深い深い仏のみ教えには、この広大な大宇宙の世界にあって、巡り逢うこと自体が難しいのです。もっといえば不可能に近いと考えてもいいでしょう。
地球が誕生して何十億年というその長い長い時間の中で、私は生命を頂戴しています。お釈迦さまがこの世にお出ましいただき、法を説かれて2500年、その中で私は生命を頂戴しているではないですか。法然上人がお念仏のみ教えを説き弘められて、850年の間に、私は人としての生命をいただいています。
今この時に、佛の御縁に出会わせていただき「我、見聞し受持することを得たり」「願わくはみ佛のみ教えを、しっかり私のものにさせて頂きます」というのが、この開経偈の文です。ですから、お經をお唱えする時、お説教をお聞き頂く時、必ずこの偈文を一緒にお唱えするのです。
人身受け難し、今すでに受く
仏法聞き難し、今ここに聞く
この身今生において度せずんば
更にいずれの生においてか
この身を度せん
お釈迦さまは、今この時を逃してはならないと申されております。
2023年11月1日
二橋 信玄 (大原山西福寺 第51世)
2023年10月29日撮影