今月の言葉(令和3年11月)

大原山西福寺 第51世 二橋 信玄より

【令和3年11月】

  蒔かぬ種は生えぬ

 

 原因がないと結果も生まれて来ない。
 のんべんだらりと遊んでいて、報酬を期待しても無理な話である。
 種を蒔かなければ実りを手にすることは出来ない。行動を起こさなければ、何も生まれないのです。

 仏典に・・ある長者が「種を蒔かない人は食べることは出来ない」と言った。すると、お釈迦さまは、「私も種を蒔きましょう」と申されました。首を傾げる長者に「信仰が種です。修行が雨であり、智慧が鋤である」と申されたのです。

 「蒔かぬ種は生えぬ」とは因果応報のことです。人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということで、行為の善悪に応じて、その報いがあることですが、現在では悪いほうに用いられることが多いようです。

 永井荷風の榎物語の一節に、「月日を経るに従い、これぞまさしく因果応報の戒めなるべくやと、自然に観念いたすように相成り申し候」とあります。
 信仰無き人は必ず悔やむ時が来ます。

 先ず父母先祖の恩に感謝して追善供養の誠を捧げましょう。
 おかげを知り、恩に報いる。それこそ最勝の種まきと佛典は教えています。
 桃栗三年柿八年と言いますが、蒔いた種は必ず生えてきます。廻り回りて、その人に、その家に必ず良い結果をもたらすのです。蒔かぬ種は生えないんです。

2021年11月13日 

二橋 信玄 (大原山西福寺 第51世)