法然上人 一刀十念御自作座像(西福寺御影堂御本尊)
【令和6年9月】
「秋彼岸に咲く曼珠沙華」
稲の刈り入れが済むと今年も、田の畦に赤い絨毯をひいたように、ちゃんと曼珠沙華(彼岸花)が美しい姿を現してくれます。
曼珠沙華とは佛語のマンジュシァカの音写で。如意花などと訳され、これを見るものはおのずから悪業を離れ心を柔軟にすると言う天界の花とされています。
「曼珠沙華 あっけらかんと 道の端」(夏目漱石)
誰に教えられる訳でもなく、天候不順にも拘らず秋の彼岸に成ると必ず赤い花を咲かせます。その不可思議なる大自然の妙を感ぜずにはおれません。私たちは、その不可思議なる大自然のイトナミの中に勝手に生きているんじゃ無い。生かされている生命なんです。
「曼珠沙華 抱くほど取れど 母恋し」(汀女)
何よりも曼珠沙華が、彼岸の到来、往生浄土を願え、親のおかげさまを喜べ、お念佛を称えよと教えてくれています。お彼岸にお墓参りやお寺参りをするのと同じで、これが尊い「佛の縁」ですね。
お釈迦さまは、「縁無き衆生は度し難し」と申されました。ここでいう「縁」とは佛との縁であり、「度」とは、お浄土に渡るの意味。つまり救われるということです。
如何に慈悲を説く佛であっても、佛の教えを信じないものは救えないし、救いようがない、という意味です。また、いくら教えても聞く耳をもたない者も困ったものです。
素直に、お念佛を称えられない人、お寺や道端のお地蔵さまの前を通っても、知らん顔で掌も合わせず、拝むことの出来ない人。お家のお佛壇の花が枯れていても平気な人、ホコリまみれでも知らん顔の人。我が家の先祖、亡き父母の供養を怠る者も、縁無き衆生になるかもしれませんね。佛の縁に出会い、お念佛を素直に称える事こそが彼岸への道です。
父母先祖、親の恩を受け、多くのお陰さまを頂いて生かされている我々は、夢々、縁無き衆生になってはならないのです。
ちなみに、曼珠沙華の花言葉は「またの再会を」です。私は「浄土の再会を喜ぶ」と頂戴しております。
2024年9月1日
二橋 信玄 (大原山西福寺 第51世)