【今月の説法獅子吼 (せっぽう ししく)】 毎月 1日更新

 

法然上人 一刀十念御自作座像(西福寺御影堂御本尊)

【令和7年6月】

   

「孝養と供養」

 

 

 親に元気な顔を見せると親は喜こんでくださいます。


 「里帰り 親の元では 子に帰り」周の老萊子は老いた両親を慰めるために、自ら小児の真似をして遊んだ(老萊の戯れ)といいます。


 「恩は石に刻め、恨みは水に流せ」と言うように親の恩、先祖の恩は末代まで忘れてはならないので、石に刻んで拝むのです。

 


 親の恩、おかげさまを知りその恩に報いる事が大事です。孝養、つまり親孝行をせよと教えられています。

 孝養の延長が供養です。孝とは養いであり、親がピンピン達者で生活力のある間は、養いの必要はあまり感じないですが、老年になればなるほど養いが必要です。しかし、そこには敬いの心が無ければいけません。


 年老いた親に生活費だけ送金しておればよいのでしょうか。「敬せずんば何を以て孝とやせん」敬いの心無しに、世間の手前上、止む無く生活費を送金しているのは、はたして親孝行になるでしょうか。貧しくとも、お粥をすすりながらでも、敬があれば見事な孝であると思います。


 仏教では、孝順といい、親の心に順(したが)う。敬いがある故に心から順であり、孝順は至道の法、孝を名づけて戒となすと教えられています。


 法然上人は孝について『世間孝」と『出世間孝」の二種あると申されています。『世間孝』とは、『孝経』に身体髪膚これを父母に受く。これを大事にして傷つけないようにする事が孝の始めなりと教えられています。


 ちなみに、乃木大将は歯を抜くのにも親に許しを請うたといいます。


 「身を立て、道を行じて、名を後世に揚げ、もって父母を顕わすのが孝の終わりである」と申されています。今なら時代錯誤と言われるかもしれませんが、道を間違わないように真っすぐ生きよとの子に対する親の願いを説かれているのです。


 『出世間孝』とは、「自ら佛道を行じ、以て父母を勧めて佛・法・僧の三宝に帰依せしめ、菩提の道に入らしめなさい。孝養の行は、念佛の行者には必行の務めなり。真の孝は佛道に入れ奉ることである」と申されております。ご両親が生存中なら、お念佛をお勧めして念佛行者になられることを『現孝』とし、亡き後は念佛追善回向を勤めるを『追孝』とされています。



「父母を送りて 知りぬ報恩の 南無阿弥陀佛と 回向まいらす」


 『孝は百行の本なり』です。親孝行怠るな。佛や先祖に報恩の念佛供養を致すべしと教えられています。親のおかげさまを忘れる事無く、日々のお念仏生活が大切だと言うことですね。

 

 

 

2025年6月1日 

二橋 信玄 (大原山西福寺 第51世)


※【今月の言葉】の表題を【今月の説法獅子吼(ほうわ ししく)】に変更します。