今月の言葉(令和5年2月)

大原山西福寺 第51世 二橋 信玄より

【令和5年2月】

   

「福は内、福は内、鬼も内」

 

 今年は2月3日が節分、4日が立春です。「節分」とは、季節の節目である「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日のことを言い、実は年4回あり、漢字の通り「季節の分け目」の日という意味です。その中でも旧暦では春から1年が始まるとされていたので、「立春」の前日である「春の節分」が大切とされ、今では冬から春にかわる節目のことが「節分」であるという認識が広まったのです。

 
 今では12月31日が大晦日、1月1日が元旦で新年の始まりとなる日ですが、その昔では立春が新年の始まりでした。そのため、立春の前日である節分が大晦日だったのです。1年を締めくくる節分は、その年の中でも特に重要な日です。来たる新年に向け、「鬼は外、福は内」と言いながら豆をまく風習があり、「追儺」(ついな)「鬼やらい」と言って、本来宮中の厄や災難をお祓いする行事が行われており、これが豆まきの由来になったといわれています。

 
 『鬼』とは何でしょうか、鬼の語源は遠仁(おんに)。つまり、“思いやりから遠いこと”だそうです。私たちの目には見えない、隠れて姿が見えない醜いものとして、心身をかき乱し、私を苦しめ悩み迷わす心の中の三毒煩悩(貪瞋痴)の事なのです。貪欲(むさぼり)は、底の知れない欲の青鬼。瞋恚(怒り)は、顔を真っ赤にする赤鬼。愚痴(真実の智慧に暗い)無明の黒鬼。
鬼門の方角・北東・艮(うしとら)から鬼が出入りすると考えられ、牛の角を着け、虎柄のパンツを履かせたのです。

 
 また、暴れている鬼の目に炒った豆を投げつけて鬼退治ができたという説や、魔物(鬼)の目の文字を取って「魔目(まめ)」になるという説もあります。

 
 節分の「鬼やらいの豆まき」は三毒の煩悩を打ち払う為で、大晦日の除夜の鐘と同じ意味です。年の暮れの除煩悩夜を表すのです。つまり、立春の新しい年を迎える為に、前日の節分に一年間に煩悩が作りし罪業を懺悔するのです。

 
 「鬼は外、福は内」とは欲そのものですよね。 貪りの欲はいけません。お寺の追儺は「福は内、福は内、鬼も内」と言います。

 
 実は、この鬼(煩悩)は、追い払っても払っても、直ぐにやってきます。

 
『掃けば散り 払えばまたも 散り積もる 人の心も 庭の落ち葉も』

 
 私は、煩悩が作りし罪業を懺悔する意味を込め、「南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛」と、お念佛申しながら豆まきをします。お念佛は心の箒です。


2023年2月1日 

二橋 信玄 (大原山西福寺 第51世)

 


 

 

 

 


 

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