今月の言葉 (毎月 1日更新)

 

法然上人 一刀十念御自作座像(西福寺御影堂御本尊)

【令和6年4月】

   

「凡夫の報土に(浄土宗開宗850年)



 法然上人ご在世の時代は、政権を争う内乱が相次ぎ、飢餓や疫病がはびこると共に天災地変にも見舞われ、人々は不安と混乱の中で生きる事すら難しい迷いの世界でした。


 法然上人は万民平等救済を一途に求め続けられ、長い間、苦難の求道勉学修行のすえ、ついに唐の善導大師の『観経の疏』に示されている『一心専念弥陀名号 行住坐臥不問時節久近 念念不捨者是名正定之業 順彼佛願故』の金言に出会われ、阿弥陀佛の本願を見出されたのです。


 承安五年春、上人四十三歳の時、ついに浄土宗を開かれたのです。これを「立教開宗」と申します。


 一心にひたすら阿弥陀さまの名号(南無阿弥陀佛とお念佛)を称えなさい。時やところは問題ではありません。何時でも何処でもよろしい、何をしていてもお念佛を申せば、どのような人でも、阿弥陀さまのお救いのお力により、佛のみ手に抱かれて、お浄土に生まれることが出来る。それは阿弥陀さまの本願にかなうからです。阿弥陀さまがお誓い下さっておられるのですから、ただ阿弥陀さまの願いに従えば良いのです。


 理屈で称えるお念佛ではない、誰もがただ、佛の要望に自ら身をまかせて、南無阿弥陀佛と声に出して念佛すればよい。佛さまが救うてやると願いを立てて下さっておられるのです。佛にお任せする。これこそ他力です。これまでの自らの思慮、自ら悟りを切り開いて(聖道門)、難しい経典を理解していくのではありません。自らの愚かさに気づき御佛さまのお力にすがる、他力の道(浄土門)を見出されたのです。


 立教開宗の時の御文に『我れ浄土宗を立つる心は、凡夫の報土に生まるることを示さんがためなり』とあり、日本で初めて凡夫のための、庶民のための佛教が、浄土宗という形で誕生したのです。


 迷いの凡夫が救われる道は、南無阿弥陀仏の口称の一行しか無いとお示し下さったのです。


 本年は、まさに法然上人が開かれた、浄土宗開宗850年に当たる記念の年です。


 余計な理屈を言わず、難儀もおかげと噛みしめて、素直に南無阿弥陀佛と称えて、今を生き、生かさせて頂きましょう。

 

 

2024年4月1日 

二橋 信玄 (大原山西福寺 第51世)