法然上人 一刀十念御自作座像(西福寺御影堂御本尊)
【令和6年5月】
「大永(だいえい)の御忌(ぎょき)鳳(ほう)詔(しょう)下賜(かし)五百年)」
御忌とは宗祖法然上人の忌日法要の事であり、誰もが等しく往生できる専修念仏の教えをお開き下された宗祖法然上人への恩徳に感謝する法会です。
建暦2年正月25日、東山大谷の禅房(今の知恩院勢至堂あたり)でお念仏の中に、お釈迦さまの御入滅に同じく御歳80才をもって、お浄土へお帰りになりました。
法然上人の忌日法要を『御忌』と申し上げるようになったのは、法然上人の滅後312年経った大永4年(1524)後柏原天皇が法然上人の遺徳を讃えられて、『大永の御忌鳳詔』という詔勅を知恩院に対して、下されたことによります。
『知恩院は浄土宗創業の道場で、祖師入滅の霊跡である。今より後、孟春の月(陰暦正月)には京畿の門葉を集めて、七日間昼夜に法然上人の御忌を修せしむべし』との詔勅により、ここに勅会として定められ、爾来、天皇の忌日法要を指す『御忌』の名称を、知恩院の奉修する法然忌を御忌と称するようになり、各寺院では必ず、法要を営むようになったのです。
『大永の御忌鳳詔』の中に、『尋源培根』法然上人の流れをくむもの(念仏を信じる者)流派をくむ者は、はるかにその源を尋ね、枝葉を愛するものつとめて、その根を培いなさい。法然上人のみ教えを思いその信仰の今に伝わることのありがたさをつねに感謝し、一層念佛信心にはげみ、法然上人の遺徳をしのぶ法要をつとめるように、というお言葉を朝廷から戴いたのです。
以前、西福寺では総本山知恩院に準じて、七日間同じ差定にて御忌会を勤められていたようです。
今年『大永の御忌鳳詔』詔勅500年の記念すべき年となります。
大原山西福寺では、5月24・25日と法然上人の813回忌御忌法要を勤めます。皆様と共にささやか乍、報恩のお念佛を奉げたいと思います。
2024年5月1日
二橋 信玄 (大原山西福寺 第51世)
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